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待つこと

待つことは大事なのか?

私はいつも待っている方だ。

自分からはグイグイ行かない方だし。

 

待つことが辛いときもある。

待たせている相手は何とも思っていないだろうけど、待たされる方は疲れる。

でも逆に自分が待たせる立場になると焦るし悪いと思ってしまって待たせるぐらいなら私が待つよとなる。

待つことが辛いのを知っているくせに待つ側へ行ってしまう。

待たせる側になりたいと思ってもなれない。

待っていて幸せなこともあれば不幸なこともある。

待ってて後悔することも、傷つくことも、損することもたくさんある。

それでも待つ側になるということは最悪な結果の時に自分が被害者の気分に浸れるからなのかもしれない。

どこかで被害者気分を味わいたい、結果的に損も得もしなかった時に自分が優位に待ってたことを誇らしげに言えるからかも。

これは自己防衛の一種なのかもしれない。

というか、世間で生きて行くために身についた技。

待つということは時間がある。

時間があるということは考えられる。

考えられるということはいろんなパターンの答えを用意できる。

そうやって生きてきたし、これからも生きて行く。

待つことは決して無駄じゃないはず。

きっと遅くても答えが出てくるはず。

待っていればいいことがあるかもしれない。

かもしれない話。

待ち時間を短く感じれる方法があるなら知りたい。

 

待つことができる自分を力一杯褒めてあげれるときがきたらいいな。