お説法

お説法を聞いた。

たまたま法要があったからだけど。

 

祖母の一周忌で小一時間近くお経を聞いて、

最後にお説法を聞いた。

 

”待っていてくれる人がいるということが、

こんなにも嬉しいものだとは思っていなかった。”

 

いつ帰るかわからない人を、ひたすら待つ。

いつ帰ってきても寂しい思いはさせないように駅で待っていた。

そんなこと現代ではできない。

できるだろうけど、しない。やらない。

 

でも確かに待っていてくれる人がいることは嬉しい。

これが当たり前になっているから有り難くない。

毎日子供に何時に帰ってくる?

そういう風に聞かれてウンザリすることもあるけど、

この子たちが待っているから早く帰ろうとか、早く会いたいとか思う。

そして帰ったら自由に遊ばせる時間を与えようなんて思いながら帰る。

 

今は人が待っていてくれる。

待っている人がいる。

でも、この先必ず待っているのは別の世界だということを最終的に教えられた。

待つ人が違うということ。

 

親の心子知らず。

自分が親である立場からも、

子供である立場からも非常に複雑な話だった。

聞いていて、とてつもなく申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

 

待つ方も、待たされる方も辛い。

仕事も家庭でも全てにおいて辛い。

待つことが楽しいなら喜んで待つのに。

待つことは苦しい。

大抵辛いと思うのは結果が出ることだな。

結果を待つことがいつも一番辛い。